鯉に恋しよう♪

鯉と日本人の歴史

個人的には和のイメージがある鯉。特に錦鯉は高級魚として、そのおめでたい色から多くの人々に愛されてきました。私たち日本人と鯉との関係は、どんなふうに変わってきているのでしょうか?起源や飼育の歴史など、ここでは鯉と日本人の歴史に迫ってみましょう!

鯉はいつ頃から生きているの?

日本でも大昔から大事にされ続けている鯉の起源は、一体いつなのでしょう?
鯉発祥の地の一つ、中国では紀元前5世紀頃すでに鯉の養殖方法についての記録があります。このことから、ずいぶん昔から鯉が生きていると分かりますね。中国の鯉はそのあと、紀元1世紀頃に日本へ、14世紀に入るとヨーロッパ、ハンガリーやオーストラリアをはじめ、少しずつまわりの国々に広まっていきました。

18世紀にはロシア、19世紀にはアメリカへと伝わりました。こうして今ではほとんどすべての国に鯉は生息しているんですよ!ちなみに中国以外の原産国は黒海・カスピ海沿岸の中央アジアといわれています。

一方、日本では中国から伝わった鯉のほかに、琵琶(びわ)湖など全国各地の湖や川に野生の鯉が生息していることが判明して、地層からも化石が見つかっています。もとから日本に生息していた鯉の歴史についても今、様々な研究が進められているんですよ。

鯉飼育の歴史

新潟県古志郡山古志村上記の「鯉はいつ頃から生きているの?」でも触れたように、鯉を飼育したという一番古い記録が残っているのは中国です。5世紀頃に出版された「養魚経(ようぎょきょう)」という本に鯉の飼育方法が詳しく載っています。

日本ではというと、日本書紀に景行(けいこう)てんのうが美濃国泳宮で池に鯉を放って鑑賞されたと記されています。鯉はとても飼育しやすく、人にもよくなれる魚として知られています。ということは、飼育の面でも、かなり古い歴史を持っていることになりますね!

一方、錦鯉は今から200年くらい前に新潟県長岡市(旧・山古志村)で誕生しました。当時、人々は棚田でお米や野菜を作っていました。そして、棚田の上のほうに作った池で鯉を飼っていたのです。

その鯉の中に突然変異で生まれたキレイな色と模様の鯉はいるではありませんか!?これが錦鯉の始まりです。こうして、人々が最初は食用に飼っていた鯉も時代の流れとともに観賞用として飼育されるようにもなっていきました。

鯉を愛する日本人

ここでは「鯉のぼり」、「掛け軸」、神話を例に挙げて、私たち日本人の鯉に対する想いを紹介していきましょう。

鯉のぼり
「鯉のぼり」は江戸時代、裕福な家庭で5月5日の端午(たんご)の節句に男の子の出世を願って飾られていたものです。もちろん今も早い家庭では4月になると家のベランダやお庭に飾るところがあり、鯉たちが気持ち良さそうに風に吹かれて空を泳いでいる光景を見ることができますよね。

鯉は出世魚と呼ばれていて、昔から男の子のシンボルとされていました。この日は「のぼり」(旗)を玄関に、先祖代々受け継がれた鎧(よろい)やカブトを座敷に飾ります。また、商人の家では「のぼり」ではなく、吹流しを飾っていました。それが、のちに吹流しだけではつまらないと、鯉の絵が描かれるようになったのが現在の「鯉のぼり」の始まりなんですよ。

掛け軸
数年前、母が新しく事業を始める知人のお祝いを何にしようかと悩んだ末、「滝昇り鯉」の掛け軸を買いました。「滝昇り鯉」は金運アップと商売繁盛を叶えるといわれる伝統画題として有名ですよね。なので、なにか新しい商売などを始める人へのプレゼントとしても高い人気を誇っています。

そのほか、「滝昇り鯉」の掛け軸をお店の玄関に飾ったら、それまであまり繁盛していなかったのに急にお客さんが増え出して、大繁盛しはじめたという話も聞いたことがあります。

神話
ここでは昔話「桃太郎」の原型といわれる吉備津彦(きびつひこ)の神話を紹介します。彼は第七代孝霊(こうれい)てんのうの息子でした。この神話でオニは温羅(うら)と呼ばれ、両目はトラやオオカミのようで、乱れた髪の毛は燃えるように赤く、身長は約4メートルあったといわれています。

頭にはコブがあり、口から火を吐いたり、変身することもできました。吉備津彦はその温羅(うら)の退治に出かけました。激しいたたかいの末、傷ついた温羅の目から吹き出た血潮が川に吸い込まれて川が真っ赤に染まったといいます。この鬼城山から流れ下る川は今も「血吸川」と呼ばれています。

追いつめられた温羅は、鯉にばけて海に逃げようとしましたが、吉備津彦は鵜(う)に変身してその鯉をつかまえたのです。そのあと首をはねられましたが、にもかかわらず何年間もうなり声を上げ続けました。そこで、吉備津宮の釜殿の下に首を埋めましたが13年もの間、釜を鳴らし続けたといいます。ある晩、温羅が夢に出てきて「「釜で神にささげる食物を炊け。そうすれば、この釜で世間の吉凶を告げよう」と言いました。それが吉備津彦神社の鳴釜神事の始まりなのです。

オニは困難に打ち勝つシンボルの鯉に変身しましたが、悪事は見逃してもらえるものではないですよね…。

鯉にまつわることわざ(言い伝えなど)

「鯉を愛する日本人」でも紹介したように、出世や商売繁盛など人々は鯉にいいイメージを抱いています。中国の神話にもとづいたものなど、鯉にまつわることわざや言い伝えは数多く存在します。その中から、いくつかを見ていきましょう。

鯉の滝昇り
鯉は激流をさかのぼりあらゆる障害を克服できる魚と信じられています。大きな目的を成し遂げる強さと勇気、忍耐力を備え持つもののシンボルとされています。中国に古くから伝わる登龍門の神話に1匹の鯉が急流の激しい川を挫折しながらも泳いでいき、難所の龍門という急流の滝を登り切った時に霊力が宿り、鯉は龍となり天へ昇っていったという、中国に古くから伝わる登龍門の神話に由来することわざです。

及ばぬ鯉の滝昇り
これは「鯉の滝昇り」とは反対の意味を持つことわざです。鯉は何度も滝に跳ね上がって、越えていこうとします。何度かの失敗にはこりずに挑戦しますが、結局自分の能力には限りがあります。どんなに努力しても成功しないことにたとえています。

江戸っ子は五月の鯉で口ばかり
江戸っ子は言葉づかいが荒くて、威勢よくしゃべるけれど、心はさっぱりしていて腹の中にはふくみがないという意味のことわざです。五月の「鯉のぼり」を見ると外見は派手、中はカラのことから、それを江戸っ子にたとえています。ちょっと悪く言うと、口先ばかりで芯がないという意味にもとれるかもしれませんね。

 

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